三白眼が見つめる先に

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契約

「結婚とは配偶者以外の人とはセックスしませんという契約」

とは、上野千鶴子先生の言葉。

 今、この言葉がジワジワと、この身に浸透してきている。

 そして先生は

「そんなおぞましい契約したくありません」

 配偶者への愛が冷めた場合、溝が生じた場合、

 「心許せない人に対してパンツ脱げるの?」

とも言っています。

 

脱ぎたくありませんねぇ。

やっぱり「好き」「愛してる」と思う相手としたい。

 

でも今の状況では確かに「配偶者以外とのセックス」はできません。「結婚」してるから。

 

好きな人ができて両想いになれた場合でも、プラトニックを貫く。先日書いた、セカンドパートナーに当たりますね。

やっぱり、結婚している以上、私はセックスに踏み切れないし、相手の気持ちを試したい気持ちがあるからだと思う。

既婚の私に近づいて、セックスだけが目的なら付き合わない!という。

そりゃあ本当に好きな人とセックスしたくなるのは当然。

でも私は心がつながってるという確信があれば、セックスしなくてもいい。逆に言えば心のつながりを重要視する人じゃないと対象にならない。

男性でそこまでの人(プラトニックでもいいと言ってくれる人)はやはり少数でしょうから、

逆に「プラトニックでも一緒にいたい」と言ってくれる人ならば、その人と一緒になりたいですね。(妄想と、夢が混じった甘い考えでもありますが。)

あくまで想像なので、実際は押し倒してくる場合もあるでしょうし、その場になったらもうわかりませんやっぱり。好きなんですもの。

 

 何で今回の内容になったかというと、先日夫とのセックスを再開したからです。

あんなに嫌だと思っていたのに。

しばらく経つと同情や、後ろめたさというか、優しい部分もあるじゃないかとか思えてきて。

それなのに拒み続ける自分が勝手な人間に思えて来て。

でもさすがに数ヵ月ぶりだったので、応じる事ができました。多分自分の性欲が数ヵ月で高まって来た事と、心理的なもの(後ろめたいとか書いた所)が合わさって。

そして、その時は絶頂に達する事ができ、何故か涙が溢れました。

涙の理由は?やっぱり好きだと思ったのか?ここからまた悪循環に陥ってしまうという後悔なのか?嫌だと思っていたのに、絶頂まで達した自分への嫌悪感?

 でも、この先、求められる頻度が上がってくるのかと思うと、やっぱり憂鬱。

数ヵ月ぶりの1回の後、2週間空いて、したのですが、最初は良くてもだんだん冷めてきてしまい「早く終わってほしい」と思ってしまう。

抱き合ってるだけで幸せという気持ちにはならない。

結局、するなら気持ち良くならないと意味がないと思っているんだろうなぁ。

射精が目的の男性と同じなのかも。

好き嫌い関係なく、絶頂を求めるのが目的なの?

だから夫とは手を繋ぎたい、キスしたいと思わないのかなぁ。

でも、夫は私の事が好きだから、手も繋いでくるし、キスしてくるって事?

セフレのように夫を見ているから、面倒な感情や干渉が煩わしく感じるのだろうか。

私は、満足のいくセックスと、生活の保証にしか価値を見出だしていないの?

夫の事は嫌いではない、でも愛する気持ちはない。たまに高まってくる性欲を満たす程度なら良いという事、なのかもしれない・・・。

だから、満たされない場合、男性でいうなら射精できない場合のように、不完全燃焼だと「やって損した気分」になるのかもしれない。